適応障害を抱える三児の父の日々

適応障害の診断を受けたサラリーマンの日々を綴ります。

適応障害サラリーマン 診断を受けるまで①

shomikupapaです。

適応障害障害の診断を受けて約1ヶ月半。

 

コロナ禍以降を綴りたいと思います。

旅行代理店では新規事業を立案部署に立ち上げメンバーとして入りました。そのタイミングが19年10月で、1年が過ぎた頃、コロナがやってきます。

東日本大震災の頃を思い出し、「また来たか」と感じました。

 

元々仕事柄色んな場所へ行けることを楽しみに台湾やシンガポールなど海外の新規事業の下見での出張などやりがいを感じた日々でした。

20年2月の台湾出張では、台北空港で入国の際厳しい体調チェックがあったりと、薄々これからの海外旅行に行くお客様は減るだろうなと思ってました。

 

そしてGWの頃になり妻の3人目の妊娠が分かりました。

 

想定はしてなかったので、生理が遅れぎみとのことで、買い物のついでに検査薬買ってきてチェックすると結果陽性が分かったのです。

 

この頃、緊急事態宣言があり旅行予約のキャンセルが激減。ほぼ90%以上の売上が吹き飛びました。そして妻の妊娠。。。将来設計に暗雲が立ちこめました。

 

妻も自分も性格的に計画的ではないので、起こった事実は受け止めて、じゃあこれからどうしていこうと考えていて楽天的ではあったんですが、

「子供3人が大学まで通ったら、絶対今の会社じゃ無理だな」

「転職したら?」という話を日々した結果15年働き続けた旅行代理店からの転職を真剣に検討することになりました。

 

20夏、冬のボーナスは不給。給料は5%カットは決まってたので正直言って詰んだ状況でした。

 

妻は当時真ん中の2歳の娘がいたので専業主婦でしたが、ネットで出来る仕事で某教育企業の定期テストの採点をして夜中もカチカチとPCを叩いてました。

自分も副業が解禁されており運動も兼ねて、ポスティングのバイトをしてました。

「まあ、貯金もあるし何とかなるだろう」

と出来る範囲で本業以外の稼ぎもしてた頃でした。

 

毎月の支出も見直し、携帯はUQモバイル、保険も見直したりと出来る範囲の生活費の見直しも行いました。

それでも、毎月の家計の収支はマイナス。多い時は▲10万など、ボーナス頼りの生活の我が家にとっては少し続く蝕まれていく感覚でした。

 

 

転職は何回か今まで活動してきたものの、条件と一致しない状況でしたが今回は職務経歴書から面接対策と自分なりに準備をしました。

この頃、新規事業で担当したプロジェクトが国の補助事業に採択され、経歴に書くネタとしてはプラスになるなど、出来れば同じような仕事で業界は問わず、待遇面は年収ベースで+200ぐらいを希望してました。

 

これから別のブログで話しようと思うので転職の経緯は割愛しますが、ご縁があり、某インフラ企業の管理職として内定を頂くことができました。

待遇面はほぼ希望通り、仕事内容も同じような新規事業開発。そして初めて役職を頂けるなど想定以上の条件でした。

 

そして20年9月に退職、10年に今の会社へ入社しました。

初めての転職で緊張はありましたが、コロナ禍で新しいことにチャレンジ出来る環境に期待を持った入社でした。

 

次からは適応障害の原因となった上司と、転職活動の話をしたいと思います。