適応障害を抱える三児の父の日々

適応障害の診断を受けたサラリーマンの日々を綴ります。

適応障害サラリーマン 診断を受けるまで②

shomikupapaです。

適応障害障害の診断を受けて約1ヶ月半。

 

ここからはストレスの原因となった上司(課長)と転職活動について書きたいと思います。

 

今勤めている某インフラ企業は、ビズリーチを通じてヘッドハンターの方からの紹介でした。

大阪市内で安定した基盤であること、給与面もコロナ禍前より約200万ほど昇給が可能なこと。

そして一番は業種が違えど成長分野での新規事業開発をそのまま続けられる事が魅力でした。

転職者も9割程と言われており絶好の機会と感じて面接を受ける事となったのです。

 

コロナ禍もありリモートでの面接でしたが、執行役員2名と話させてもらい、2人の人柄の良さや、当初想定の条件も確認できたことでトントン拍子で内定まで至りました。それが21年の7月のことでした。

 

その後、10月に入社が決まったことや退職の調整もできてました。ここまでは順調でした。

 

その中で一つだけ不安がありました。

実際にお会いしてないのに内定に至ったので、実際に面会できてない事でした。コロナ禍の転職活動あるあるだとは思い、ヘッドハンターを通じてセッティングを依頼しました。

ヘッドハンターからは、これから所属する直属の上司(課長)にも顔合わせしたら仕事のイメージが付くとの事で調整いただき、9月の中旬に面会する事ができました。

 

会議室で緊張の中、入ってきたのがリモート面談でお会いした2人のうちの1人の執行役員と直属の課長でした。

 

事前に用意してた質問をし、仕事のイメージを想像してた最中、ある質問をしました。

「正直○○の事業って、収益は度外視して会社のブランドや取り組みを広く知らしめると思います」と言ったところ、課長から

「会社で事業をしてて収支を度外視なんてありえない!PLや新規事業は、、、」など5分以上考えを返されました。

 

この人とは上手くやってく自信がない。

 

とっさに感じました。

 

そう感じたのは新入社員の頃、親会社への営業活動中、その課長クラスの人から恫喝されたことで年上の男性、特に自己主張の強い人や上から目線の人に苦手意識を持っており、それは部署移動した時に、そのような性格を感じる人には遠慮してしまう精神状態になる事が良くありました。

 

この人とは上手くやってく自信がない。

思い込みのスイッチが入ってしましました。

 

帰宅後、課長の話を妻に伝えました。

「まだ仕事してないんだから、入ってからでないと分からないやん」

その言葉通りでしたが、入社まで頭から離れませんでした。

 

退職願いも受理され、入社への誓約書も書いた中、立ち止まることも考えましたが、条件には勝てなかったことと、一番は家族の生活が安定する事が大きかったので、そのまま入社日を迎える事になったのです。

 

次からは入社後の出来事を書きたいと思います。