適応障害を抱える三児の父の日々

適応障害の診断を受けたサラリーマンの日々を綴ります。

適応障害サラリーマン 診断を受けるまで③

shomikupapaです。

21年3月に適応障害障害の診断を受けて56日目のブログです。

 

今の会社に転職してからの日々を綴ります。

 

1.入社から年末まで

21年の10月に不安を抱えながら入社し、内定式や関係先の挨拶など一通りの初日を過ごしました。同日入社は11人。会社の拡大のため人をとにかく集めてるんだなと感じつつ、前職とは違った業界からの転職者ばかりなので、改めて環境が変わった事を実感しました。

 

そして、例の課長は…席におらず。。。

聞いてみるとリモートワークだったのもあり拍子抜けしてしまいました。

会社概要の説明は課長がPC越しで行い挨拶をしてその日は終了しました。

 

週明け、課長と対面しサシでランチを一緒にしたのですが、最初だからとオゴりもなく自分の今までの仕事話に終始しました。

(決して奢ってくれない事に不満は無かったのですが、先入観のスイッチがが入ってて、嫌な人=奢らない人と思い込んでいるだけです)

 

10月からは早速5年計画のプロジェクトに入り上下分け隔てなく事業計画を進めた日々が年末まで続きました。

その間は課長からはお客さま状態だったのでしょうか。特に嫌がらせや叱責もなく淡々と日々が過ぎていきました。

 

2.妻の妊娠。そして課長からのお祝い

12月のクリスマスに3人目の出産予定日でした。入社前から出産前後の休みは伝えていました。予定日の週はリモートワークに勤務を調整いただき、クリスマスイブに第三子が誕生しました。

そしてLINEでチームに報告と写真を添えて送りました。

年末、課長から「お祝いを贈りたいので住所を教えて」と連絡があり伝えたところ、かわいいタオルセットを頂きました。

「こーゆー人ほどちゃんとやるんよな」妻の一言。課長からしたら良かれと思ってる事も、何となく引っ掛かる気持ちでした。

 

3.年明け、新たなプロジェクト

年末年始を挟んたことで、有給も2日程度の取得で済み、入社し3ヶ月が経過しました。

この頃から課長の自分への当たりが強くなりました。

 

年度末に国補助金事業を得るための大掛かりなプロジェクトに自分がアサインされてました。

その資料の取りまとめが年を明けてから本格化してきました。

と言うより、妻の出産もあり前倒しでの対応が割り当ての時間が年末までなかったのが実情でした。

 

大きく作業でやる事は二つ。

一つ目は、取締役会で承認を得る事

二つ目は、承認を得た後、補助金申請書を作成

 

一つ目は、承認を得るために第一関門として、所属する本部内のOKを取り付けることが必要性です。

今までの検討してきた事業アイデアをA3の1枚でまとめ、参考資料としてパワーポイントのプレゼン資料を追加する建て付けです。

 

前職からの経験で考えると楽勝!っと思ってたのですが、この会社では通用しませんでした。

 

まずダイジェスト版として重要なキーワードを抽出し、叩き台をチェックいただく。その想定で作成をし、課長にチェックを得る事にしました。

「まずその進めたを執行役員から同意を得たか?」

「そのイメージで進めて貰ってみんなで考えようと言われました」

「だったらまずは骨子(スケルトン)を作るべきでは?」

「今まで皆さんと検討してきたのである程度同意が得られると…」

そして、課長はノートを取り出し、章立てを書いていきました。

仕事のやり方が違うのか。何が理由か分かりませんでしたが、渋々課長のノートをコピーを取り資料の構成からやり直しをしたのです。

 

仕事のやり方が悪かったのか、ただ単にターゲットとしてイチャモン付けたいだけなのか、良く分かりませんでしたが、何か一つ仕事をやってもすんなりいくことは一度たりともなかったのです。。

 

次回以降、少しずつ蝕まれていく状況を伝えたいと思います。